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信濃 岩尾城



 
 信濃・城郭巡り第8弾、岩尾城になります。
 地図上では伊豆・箱根三島神社となっておりますが、そこが岩尾城址となっています。
 登城した際、地元の方たちによる木々の伐採作業が行われていて、綺麗な境内での登城となりました。
 お恥ずかしながら、予定では小諸城から五稜郭の冠の戴く龍岡城へ車で移動中、道に迷ってる最中にこの岩尾城へ辿り着きました。
 岩尾城の名前がつく城へは2度目で、初回は兵庫県・丹波のお城となり、岩尾城址の地名に引き寄せられました。


 
 小ぶりな平山城ですが、この城にまつわる名前が凄い方ばかり。。。
 この岩尾城は文明十年(1478)に佐久郡大井庄の地頭大井氏の支族、大井行俊によって、築城されたと長野県教育委員会の案内にありました。
 第4代城主、大井行頼の代の天文十二年(1543)9月に武田晴信の侵攻を受け落城、その後、真田幸隆が城代として岩尾城に入ったということです。  幸隆在城の時に三男・昌幸がここ岩尾城で生を受けたともいわれています。
 落城時、城主であった大井行頼は、その後武田家の先方として加わり数々の戦功を重ね、武田家へ息・行吉を差し出して出仕を果たしました。
 天文二十年(1551)7月、武田晴信自らが岩尾城の鍬立て(地鎮祭)を行ったことが『高白斎記』に記されており、その際の城主は年代的に大井行頼だったのでしょうか…。






 
 さらに武田家が滅び、本能寺の変が発生して佐久地方も天正壬午の乱に巻き込まれると、再び岩尾城が歴史の舞台に上ってきます。
 大井行頼の息・第5代城主 大井行吉は天正壬午の乱の際、ここ岩尾城に戻り北条方として蜂起して徳川方へ対峙します。
 徳川方の先方は、あの二俣城・田中城にて奮戦した元武田家家臣・依田信蕃。 武田家旧家臣団を徳川家へ服従させることに躍起になっています。
 天正十一年(1583)二月二十一日徳川軍監:柴田康忠の元、岩尾城に対して依田軍が総攻撃をかけますが城主:大井行吉は頑強にこれを抑えます。
 翌二十二日、依田信蕃は自ら陣頭に立ち攻城を続け三の丸付近でまで攻め込みますが、守城側から狙撃され信蕃の弟:信幸共々、この岩尾城で命を絶ちます。
 
 上記右下の写真・中央付近に大変小さいですが依田信蕃・信幸の供養塔があります。 この写真は二の丸と三の丸の間にある空堀を撮るために写したものですが、偶然にも供養塔がたまたま映り込んでいました。
 
 依田信蕃・信幸兄弟討死後の三月七日、軍監:柴田康忠の勧めに応じ大井行吉は岩尾城を開城します。
 







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