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武蔵 八王子城

八王子城の曳橋

八王子城 2010年5月28日

名 称

 八王子城

種 類  山 城(日本百名城・国指定史跡)
住 所  東京都八王子市

 上の写真が御主殿に架かる八王子城の曳橋です。

 やっと念願の八王子城へ登城することが出来ました。
 八王子城は深沢山(城山)の部分と、山麓に広がる御主殿近辺、それに深沢山の南側に一直線に広がる山域に並ぶ太鼓曲輪、更には周辺に点在する砦とで構成され、大規模な城郭になっています。

 この日14時ごろから登城となり、深沢山の山頂にある本丸まで一気に登り、下山後に御主殿付近へ登城してきました。
 消化不足です。八王子城を制覇するには、丸一日以上は掛けないとダメですねぇ。

 上の写真にマウスを合わせると築城当時に架けられた曳橋の位置が表示されます。  登城した時は曳橋の位置が築城時と違うことは知りませんでしたが、曳橋を御主殿側に渡りきった後の左側に開いた空間に、作者は違和感を覚えました。
 現在の御主殿側の橋詰部分[写真:B]の石垣は、曳橋の復元時に石垣を崩してしまったからなのか?開口部の石垣の色がまわり石垣と若干違います。

【八王子城の歴史】
 八王子城築城前は、この地からは約10㎞離れている多摩川河畔の滝山城が、後北条氏・小田原城の支城として機能していました。
  しかし、永禄十二年(1569)に武田信玄の後北条氏に対する小田原城攻撃への行程で、ここ滝山城がターゲットとなり、三の丸まで攻め込まれ落城寸前となりますが、結果的に落城は免れます。 これが要因で八王子城の築城に結びつきました。

 文献等では安土城を参考に築城したとされていますが、作者の私感は、城域の構成や石垣などが岐阜城に似ているのでは?と思いました。
 一昨年に岐阜城・織田信長居館跡、発掘調査中の現場に行ってきたのですが、麓に居館、稲葉山に守りの城郭。
 似てません?

 左の写真は上の写真にある[写真:A]の石垣の断面です。
 写真にある赤線の右下部分は復元前に現存していた部分で、左上部分は復元時に積み増した石垣になります。近くにあった案内図の復元前写真を元に描いてみました。
 石垣の赤茶げた箇所は、落城時の火災の影響でしょうかぁ?
 作者の勝手な想像ですが、ここ曳橋の橋詰部分は櫓門が構築され、迎い側から来る敵兵に対して睨みをかけていたことでしょう。
 想像するだけでもゾクゾクします。  

 左の写真が虎口の上段、模擬冠木門付近から見た曳橋です。
 ちょっと識別しにくいですが、虎口の下段に櫓門の土台に使用する礎石が4つあります。
 左の写真にマウスを合わせると、今年修築された模擬冠木門、その向こう側には御主殿跡が広がります


 またここで作者の後悔が一つ、左の写真の御主殿跡中央付近に本丸に向かう道があり、そこに四群石垣という場所で石垣が四段連続する箇所があります。
 その見どころを逃しました。。。。

 いつも思うのですが、もっと下調べしてから行けって云うの。。。
 作者の性格上、ここぞと思う瞬間に行動してしまうところがあり、その性格が自分の人生、失敗を重ねています。
 所謂、猪突猛進というやつですがぁ。
 自分は戌年です。。。

 左の写真は本丸の写真になります。
 この本丸まで来る途中、登城道にあった石垣等が散見できたのですがぁ、逆光で、うまく写真を撮ることができませんでしたぁ。。

 写真にマウスを合わせると金子丸からみる帯状の曲輪群になります。
 この金子丸は、八王子合戦(小田原の役)の天正十八年(1590)7月24日に最大の反攻場所であったとされているところです。 当時、どんな戦模様が展開されていたのでしょうかぁ。。。

 次回の登城時には、本丸奥にある詰めの城や、その奥にそびえる大堀切、更に四段石垣を見に行きたいと思います。




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